第8回 2008年4月23日
プレゼンター:
林 要次(建築家・yoji hayashi + ads)
タイトル:
<ある「価値観」をめぐって...フランスから学ぶこと>
都市は、様々な価値観によって支えられて成立している。しかし、そもそも価値観を共有することは可能なのだろうか。
都市は、お互いの価値観を「共有」するというより、むしろ「許容」して成立しているのではないか。許容度の違いは、民族や時代、それぞれの環境によって異なる。
永井荷風、中村順平を中心とした過去の先人たちの経験と個人的な体験を中心に、建築や都市における価値観の温度差を探る。
レクチャーレビュー:
<路傍のパンジー>
パンジー(Viola X wittrockiana)
スミレ科スミレ属の園芸植物。花が人間の顔に似て、深く思索にふけるかのように前に傾くところ からフランス語の「思想」を意味する単語パンセ (pensée) にちなんでパンジーと名づけられた。
もちろんパンジーは道端などには咲かない。人が手間ひまをたっぷり注いで、花壇やプランターに花を咲かせる園芸用の品種である。林さんの姿勢は、まさに思
想に象徴されるパンジーそのもののようであるが、誰の手塩にも染まっていないし、花壇やプランターといった限られたフィールドに囚われている様子もない。
如雨露から注がれる水を避け、ぬくぬくした肥料を飛び出し、どこかの道端で、何かを発見し、深く考え、自ら行動する。大衆の一部としてではなく、アウト
ローや迷い牛ならではの「美しさ」がそこにはある。照れているのか、見通しているのか、その熱く冷たい瞳の奥に、か細いようで強いその花の存在を感じる。
林さんの掲げたテーマのとおり、都市の再考とは、都市に対する価値観の再考に他ならない。何の疑いもなく当たり前だと感じている共通認識を疑い、その原初
まで立ち返り、どんな時代の何がそうさせていたのかを知ることで、はじめて都市の成り立ちの一部を理解できたと言うことになるのだろう。情報のグローバル
化やスピード化などと言われる時代において、すっぽり抜け落ちてしまった、本当に大切な情報の源を見つめ直す作業こそ、都市の再考という哲学に必要な行為
だ。
さらに、都市を思考するには、あらゆる立場から同じ物事を照射してみることも有効だ。なぜ、あの人はあの時ああ考えなければならなかったのか。誰の思考に
も必ず理由があるはずである。このような根源的な視座こそ、現在の都市の成り立ちを解明し、新しい価値を見出すブレイクスルーへの最善の方法なのかもしれ
ない。
林さんの話には都市を再考してみることの意味とその方法のヒントがたくさん隠されていたように思う。
人前で話すのが苦手と何度も繰り返す林さんの、しかし、そのスペクタクルのようなプレゼンを僕はいったいどう理解すれば良かったのだろう。一連のお話の根
源にあったのは、果たしてニヒリズムだったのか、それともオプティミズムと受け取るべきだったのか。僕の拙い感受性では、その花のそこはかとない美しさの
ほんの一面しか感じ取ることができなかったように思う。
ともあれ、松田くんが林さんを「先生」と呼ぶことは腑に落ちた。彼は、誰の教師でもない代わりに、万人のための哲学者なのである。彼の教えを請うために、
僕たちは何も求めてはいけない。傍からそっと、その思想の過程を、ありのままを見守ることしかできないのである。路傍に咲くパンジーの美しさは、それがそ
こにあるという、その原初的な状況においてのみ最大限に高められているのだから。