第07回 藤村龍至+山崎泰寛

第7回 2008年2月28日

 

プレゼンター:

 藤村 龍至(建築家・藤村龍至建築設計事務所)+山崎泰寛(編集者・建築ジャーナル)

 

タイトル:

 <議論の場を設計する>

 

レクチャーレビュー:

<コラボレーションの可能性>

  結局のところ、二人がどのようなコラボレーションの相乗効果を発揮しているのかよくわからない。二人の話す言葉は、すれ違うとも、噛み合うとも言いがた く、ねじれて、もつれながら、なんとなく方向性を示し出す。確固たる結論を二人で導くわけでもなく、ディベートが繰り広げられるわけでもない。

まがいなりにも、公的な場であることがそうさせたのかもしれない。二人がこのようなプレゼンの場に同席するのは、これがはじめてだったと言う。そして、これが最後かもしれないとも。round about journalのブログが、それぞれの日常を語るだけで、互いにコメントし合うことはないというスタイルだったのとも等しいコミュニケーション深度のよう に思えて興味深い。いつもは、もっと違う顔でガツガツやっているのかも知れないけれど、公的なプレゼンの方法として、二人はこのような様相を選択している ようである。

  もしかしたら、このような距離感が現在の都市における最適なコミュニケーションのあり方を示しているのかもしれない。だからこそ二人の表現はこうなってい るのだろうか。決してコミュニケーションが希薄なわけではなく、一方で協同体のような強い絆を感じさせるわけでもない。時々、連絡を取り合うくらいだが、 会えばお互いに刺激しあう。そしてまた、それぞれの日常を過ごしていく。それくらいの親密度が僕らの世代のコミュニケーションなのかもしれない。(個人的 には、僕はもう少し強いコミュニケーションを望んでいますが。。。)

  正直なところ、僕はこのようなパートナーの存在を羨ましいと思ったのだと思う。よくはわからないけれども、明らかに魅力的なその関係性を理解し、共有した いと思ったのだ。その根底には深い信頼関係が感じられる。二人のそれは、「学校」を通じて得られたものだというのも象徴的で、面白い。都市は人間同士のコ ミュニケーションによる、生きた学びの場そのものである。二人が議論を通じて社会に投げかけるのは、都市を学ぶ姿勢にほかならない。現代の都市を生き、よ り深くコミットメントするためのコラボレーションが成立しているのである。

 

<建築サークルを鍛える>

 僕は少しround about journalのことを誤解していたようである。建築サークルという仲良しグループの趣味的・遊戯的活動のように理解していた面がある。建築についての議 論というハードな筋トレを繰り返す団体を少し、引いた視点から眺めていたのも事実である。(このこと自体はそれほど間違った見方ではないと思うのだけれ ど、)

し かし、彼らの議論が向かう先は、自己満足的な団結の強化にあるわけでは決してない。建築サークルの強化合宿は、サークル内の技能のレベルアップに終始する のではなく、その目標は体外試合というコミュニケーションを通じた社会改善なのだと知らされた。これは、かなり手ごわいサークルである。誘われてもいない けれど、もしも勧誘されたら、こんなハードなサークルに入るべきか否か、少し身構えて考えてしまう。それは、憧れとハードルの高さが醸し出す見えない敷居 のせいである。二人の話を聞いて、このサークルに対する考え方が大きく変わった。都市で活動するサークルとして、このようなスタンスは節足ではなく、本質 を突いている。筋トレのための筋トレなんてやってもしょうがないとタカをくくっていたが、これはもう、うかうかしていられない。ランドスケープサークルも トレーニングしてるんでしょ?なんて聞かれてしまったが、もう、夜もうかうか寝られないくらいである。

 

<政治とポップ>

  彼らの目標である都市を変えていく活動のためには、どのような方法であれ、社会性が必要となる。建築を変えることで都市を変えることは不可能ではない。し かし、どのような建築であれ、そのインパクトが社会に届き、人々に伝わらなければ、都市は変わってはいかない。二人の取り組む活動のその先には、このよう な社会性が巧みに設定されている。このような社会性を意識したうえで、70年代生まれの僕たちに今できることに着 手し、都市を変えるためには、政治」をも意識しながら、社会にアピールするためのスキルを磨いているのである。その目標設定はニクイほどはっきりしてい る。2010年以降は、建築と言う枠にとどまることなく、より開放的に社会へアピールしていくのだという。社会へ打って出るものをつくるために、あえて 今、ハードコアな議論によって、表現すべき素材を研ぎ澄ましているのである。このような地固めの中から、人々に共有される社会性が芽生えつつある変遷の過 程が肌身に感じられる。ブログからフリーペーパー、イベントへという過程においても、その変化の歩みは明らかである。今後、大きく成長していく彼らの取り 組みから目が離せない。そして、近い将来ポピュラリティを獲得し、その先には政治をも射程に捉えていくのである。

 

<メディアと地方>

 そのために、今、二人の触手はメディアと地方へ伸びている。2010年以降の展開に向けて、彼らの戦略はすでにはじまっている。小さなサークル活動が大きなムーブメントへジャンプする瞬間に向けて、その舞台設定は緻密な計画で積み上げられつつある。

メディアを通じた地方票の獲得と言う一見旧体制的なそのアプローチこそが、現在の都市を変えていく一番可能性を秘めた方法なのだと言う。このような取り組みの成果として、地方都市の再生が(少なくともそのムードが)大都市へ伝播する未来もそう遠くはないかもしれない。

このようなアプローチを提示することで、彼らは、都市に関わる建築家の可能性を模索している。都市と関係を持つことの風土を建築界に根付かせようとしているのである。

 

<建築家と言う仕事・編集者という仕事>

結 局のところ、二人の職業すらもよく分からない。建築家と編集者という枠組みからは明らかにはみ出た、彼らの活躍の領域が、現代の都市の社会性をそのまま表 しているようである。しかし、言い換えれば、彼らのこのような取り組みこそが、現代の建築家や編集者の核心的な仕事と呼べるのかもしれない。彼らには明ら かな信念がある。都市を思考し、都市を変えようとしている。建築やメディアの領域を行ったり来たりしながら、建築やメディアが都市を変える力を最大限高め るための取り組みこそ、彼らの設計する議論の場の持つ意味なのである。

 僕にはこのような取り組みの全てが、建築の政治性や社会性を拡張する取り組みだという実感は、正直なところ今はまだない。大規模なイベントを成功させた後の、現在企画中の次号やその次の号での彼らの展開が待ち遠しくてたまらない。そして、さらに20年後の彼らの都市を大きく変える活躍に期待せずにはおられない。

 日本の都市の新しいフェーズを切り開く瞬間、ぜひ僕も同じフィールドに立っていたいと思う。