第01回 池田雪絵

第1回 2007年1月16日

プレゼンター:

 池田雪絵(建築家・池田雪絵建築設計事務所)

タイトル:

 <見えないものを見るために>

レクチャーレビュー:

<都市の鍼灸法からマッサージ・アロマテラピーへ>
 池田さんが建築をつくるモチベーションは至極わかりやすい。「人々を気持ちよくするた め」に、そのささやかな場が提供されている。「ささやかな」はひょっとすると失礼な表現かもしれない。今後はもっと、大きなサイトや巨大な公共建築を手が けられていくだろう。しかし、今のところその「モチベーション」と「ささやかさ」が、すばらしくマッチングしている。どの作品を拝見しても、そこに共通し ている雰囲気は、僕らを圧すのでは、やさしくなでる。さらに言うと、直接的な干渉というよりも、何かで包み込むといった感覚を与えるものだった。対象の大 きさが変化しても、その質は不変であってもらいたい。
僕らの目の前には、すでに都市の風景が広がっている。戦後の焼け野原が原風景ではないし、バ ブル崩壊後の都心の空き地を荒野とみなすのにも無理がある。僕らは生まれたときから、都市を前提として生きてきた。それは、切り開らき、勝ち取られる対象 ではなく、むしろ選択し、自由にカスタマイズしながら使いこなす対象としてある。都市をつくるのはおこがましいが、自分の好きな居場所を獲得するのは当然 の姿勢だと感じる。そんな同時代的な感覚を強く感じた。

<見えないものを見る・感じないものを感じる>
 池田さんの作品は、人の感情に投げかけるものが多い。その意味でアートと建築のあいだを行ったり来たりする。アートは人の感情を揺さぶることにその存在意義があるだろうが、建築は日々の生活での感情の持ち方を変えるためのものといえるかもしれない。
  都市に暮らす人々は、多くの情報と空間を編集することで、普段の生活を組み立てている。それは、いっけんすごく多様な経験を生むようであるが、多すぎる選 択肢は組み合わせの単調さを誘発し、平凡な日々を繰り返すことがちゃちな(本質的ではない)安心につながっている面も否めない。そこで本来見ているはずの 風景や感じているはずの雰囲気を大衆の共有イメージにもまれながら、(うすうす気にとめながらも)足早に通り過ぎるのである。そんな状況に変化を与え、そ こにあるべきものに目を向けることが、日々の生活を豊かにする池田さんの眼差しは、根源的なアチテュードとして大いに共感できるものであった。そのプロ デュースのために必要なのは、万能な神の目ではなく、偉大なる市民性の拡張であろう。僕らは都市に生まれ、都市に生きていくのである。現在の都市で、「普 通」に生きるということはひどく難しい行為なのかもしれない。

<世界は変わる>
 しかし、彼女の都市治療は今日もどこかで、ささやかに続いている。世界はパラダイムシフトを求めてはいない。今ある世界は十分に豊かで気持ち良く、楽しい経験を生成することが可能な場なのである。そんなことを改めて気づかせてもらった心地よいレクチャーであった。