第4回 2007年7月13日
プレゼンター:
松田 達(建築家・松田達建築設計事務所)
タイトル:
<相対的な新しさと絶対的な新しさ:建築的都市的発明の誕生>
コメント:
新しさを二つに分ける。相対的な新しさと絶対的な新しさ。前者は古いものとの対比で生まれる新しさ。モード。後者は比較するも
のがない新しさ。だから、誕生したときに気付きにくい。都市と建築をめぐる、いくつかの「絶対的な新しさ」の誕生に遡及して迫る。物事はいつ生まれるの
か。新しさの根源を、イルデフォンソ・セルダ、ル・コルビュジエ、レム・コールハースを軸にして考える。
レクチャーレビュー:
"時を告げる予言者になるな 時計をつくる設計者になれ"
ジェームズ・C・コリンズ/ジェリー・I・ポラス著『ビジョナリーカンパニー』より
そもそも、どちらかになれという選択肢そのものが不毛なのかもしれない。松田くんの言うとおり、これまでにない学際的領域を形成することこそ、今、僕らに求められているのかもしれない。
セルダ-コルブ-コールハースの時系列で都市の捉え方をみれば、全体性の提示(発見)-部分的機能からの全体-部分と全体の同時性というのが思考の流れの
ように思う。コールハースの示している新しい概念は、すでに世界化されたものの再発見でしかない。部分の積み重ねによって行き着く先が都市(=夢)なので
はなく、個別の部分のリアリティこそが都市なのだという夢の否定に思える。
では、ポストコールハースとはいかなる思考か。僕はやや単純に全体性の
再提示(再発見)ではないかと考える。資本主義や消費社会を背景にした個別部分の自由主義の果てに、豊かな都市の地平が広がっているという認識には、いま
ひとつ共感が持てない。離散的な活動の自由が保証されていることに魅力は感じるが、そこに秩序がない限り、無限の荒野が広がっている状況に過ぎないのでは
ないか。議論でもあったように、その秩序とは新しい「政治」かもしれないし、「思想(イズム)」や「アクティビティ」かもしれない。EUでは「国家」が問
われているし、「人種」や「宗教」は世界のあちらこちらで揺らいでいる。
これらは、建築家の仕事ではないかもしれない。また、世界はコントロー
ルされる対象ではないかもしれない。では、僕らは何を求めて、何のための生きようとするのだろうか。個別に細分化された世界で最大限の快楽を求めるのか。
閉塞感を紛らわすための更なる細分化を進めるのか。
松田くんの提示する何かと何かをつなげる行為は、まさに細分化された世界をつなぎとめるきっかけとなる。これは、すでに世界化しているものを分節していくことよりも、はるかに困難な作業である。
時代の潮流を予測し市民を煽動するだけの預言者でも、未来の指標となる時計の設計者でもなく、価値観とシステムを統合した新しい思考と実空間を提示するユルバニストたる松田くんの活躍に期待せずにはおられない。