「多摩ニュータウンわたしの街」上映会

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下記、頂いた情報を転載します。

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「多摩ニュータウンわたしの街」上映会
2009年3月22日(日)
会場:新都市センターホール(多摩センター三越7F)
入場料:前売り¥800 当日¥900
上映時間:12:00〜13:00、14:00〜15:30、17:00〜18:30
斉藤内科呼吸器科院長トークセッション「地域治療とまちづくり」15:40〜16:40
http://www.tama-newtown-film.com/doc/schedule/

ところで、この映画はどんな映画かと申しますと、これがなかなか簡潔に説明するのが難しい。
以下、経緯から説明するとしましょう。

「ニュータウン問題」とでも言えそうな形でマスコミが多摩ニュータウンを取り上げ始めたのもかれこれ10年以上前だろうか。
少子高齢化が進む街の一部を取材し、「オールドタウン」「ゴーストタウン」などと称した。
特に、最初に開発された諏訪・永山地区は、建物の老朽化も相まって、スラムっぽいイメージが普及した。
住民たちにとっては、いい迷惑である。
そこで「冗談じゃない」「多摩ニュータウンはオールドタウンなんかじゃない」と声を上げ、立ち上がった人々がいた。
彼らはなぜか「多摩ニュータウン映画製作実行委員」を立ち上げた。
というのも、往年の劇映画カメラマン、南文憲氏が仲間にいたからだ。
南氏はニュータウン開発時から、折に触れてはこの街を撮り続けてきた。
その素材を使って映画を作ろう、多摩の元気を発信しよう、ということになった。
声をかけられたのが森康行監督。

森監督はこれまで、
・ビキニ水爆実験の被害の隠された広がりを解明する高校生たちの活躍を伝える「ビキニの海は忘れない」(1990)。
・高知の高校生が「なぜ、多くの朝鮮人たちがここにいたのだろう」という素朴な疑問を持ち、朝鮮人学校の生徒たちとの交流や韓国への旅行を通して歴史的事実を学び、友情を育てていく「渡り川」(1994)。
・様々な理由で『普通に学ぶ機会』を得られなかった人々が通う夜間中学を舞台に、生きるために学ぶ真摯な姿、異年齢間の交流、教師と生徒の温かい人間関係を描いた「こんばんは」(2003)
の3本を撮ってきた。

と、こうして並べてみて「学園もの」の人だったんだ、と今気付いた。

それはさておき、「お前、監督やれ」と森さんが招集されたのが2006年の夏頃。
その年の年末、六本木の居酒屋で森さんと飲んでる時「今、面白い映画に関わってるんだ」と話を聞かせてくれたが、さっぱり内容がわからなかった。
それもそのはずで、「多摩ニュータウンが抱える問題とは何か」という会議を実行委員会が繰り返し行っていた最中で、あまりにも巨大なテーマに収拾つかなくなっていたのだ。
その会議の様子は後に素材テープで拝見した。

ともあれ、森監督の主導により、映画の方向性は「多摩ニュータウンを元気にしよう!と立ち上がった老人たちが映画を撮り始めちゃった」という映画にすることになった。
映画は、特に老朽化、高齢化が進む諏訪・永山地区を中心に、そこに住む人々の素顔に迫りながら、同時に映画製作実行委員の手探りの映画づくりの様子も追う。
地域社会とは何か、故郷とは何か、実行委員のメンバーを含めた顔見知りの人々にカメラを向けながら、様々な問いかけをしていく南文憲氏。
高齢者介護や地域医療の問題、居住空間としての団地の構造的な問題。
高度経済成長期に移り住んできた住民と地元住民との関わりなど、多角的な視点から多摩ニュータウンを読み解くこの映画。
しかし、ルポルタージュというよりは人を中心に見る群像劇という感じです。

個人的には、様々な「気付き」の種が埋め込まれていると思います。
わかっているようでわかっていなかった、知ってはいたけど感じていなかった、ということが色々あった。
具体的には映画をご覧下さい。

ちょうど去年の今頃完成したこの作品。
関係者の中で森監督と僕だけが多摩の住民じゃない、という変なプレッシャーの中で作り上げた思い出深い映画です。

アヲキリョウ

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