第5回 2007年9月13日
プレゼンター:
山崎 亮(ランドスケープアーキテクト・studio-L)
タイトル:
<逆都市化時代のランドスケープデザイン -『つくる』から『つかう 』へ->
コメント:
人口減少、生産年齢人口の減少、税収の低下、行政財源の縮小。「つくる」時代の終焉がみえてきました。これからは、つくってきたものをどう「つかう」のかが問われる時代です。公共空間を使いこなすプロジェクトを紹介します。
レクチャーレビュー:
<昔話の世界観>
作家・江国香織は最高の物語として「昔話」をあげる。「むかしむかし・・・」と、はじまったとたんに安心して全てを委ね
られる世界がはじまるから、と。山崎さんのつくり出そうとしている「つかい方」はそんな世界観へのチャレンジかもしれない。お説教なら聞きたくないけど、
昔話なら聞いてみたい。心地よく、全てを一旦忘れて、物語の世界に酔いしれる時間。現代の人々が求めているのは、そんな物語なのかもしれない。
<与える喜びが都市を変える>
しかしながら、いつまでも昔話を聞いているわけにもいかない。子供の頃は、絵本を読んでもらわないと眠れな
かったが、いつの頃からか一人で眠れるようになった。いつまでも与えられているばかりでは成長がない。山崎さんのプログラムには、巧妙に世代交代が仕込ま
れている。物語を読んでもらっていた人がいつの間にか物語を読んで聞かせる側に回っている。そして、なにより重要なのは、読んでもらっていたときよりも、
読んで聞かせる側に回ったときの方が、よりいっそう幸福感が増しているということである。与えることが楽しくなる。そんな価値観を持てる人がたくさん暮ら
す都市は、必ずや楽しい都市に違いない。
<何もない不自由よりは、補助線つきの自由>
与えすぎることは、不自由でもある。情報過多に育てられた子供は、本当の自由が何であるかを
知らない。何もない時間や空間が自由なのか、数多の選択肢から選ぶことができる状況が自由なのか、もしくは、何も思考しないくてよい状態が自由なのだろう
か。それぞれに魅力的なところはたくさんある。忙しい日常から開放されて、ボーっと過ごす休暇は心地いいし、自分の興味にあわせて何時でもどこでもどんな
ことでもできる可能性に満ちた都心での生活も楽しい。一方で、至れり尽くせりだって悪くない。高級ホテルで貴族のように過ごしてみたいと思う気持ちに嘘は
つけない。では、都市の公共空間では、どれを狙いに行くべきか。山崎さんの狙い目は、特定の出来事に関する至れり尽くせり、あたりだろうか。「本当に原っ
ぱで楽しめるか」とはまさにその通り。このあたりの加減はすごく難しいところだと思う。
<パブリックを問う>
特に、公共空間に関して言えば、公共が何をなすべきかという問題が大きく関与する。いやその前に、そもそも公共とは
何かということが先だろうか。公共空間のもともとの存在意義は、私(もしくは個)が共有して持つ空間ということにある。今でも入会地などを持つコミュニ
ティも存在するが、公共が持っている空間=公共空間では、そもそもないはずである。そのはじめのボタンを掛違えているから、公共空間が迷惑施設になったり
苦情の対象になったり、使えない空間になってしまったりするのである。税金というシステムが自分と公共空間との関わりを分かりにくくしている。しかし、公
共空間は明らかに私の(ための)空間なのである。公共は、そのためのサポートをする組織である。一人の資産では持てない庭を公共を通じて公園として「私
は」持っているのである。という事実を知らしめるのは、(ねじれているけれど)公共の大事な仕事である。予算を死守するのが仕事ではない。市民に公共空間
での自由を与えるのが大事な仕事なのである。
<「都市教育」の重要性>
というようなことを小学校や中学校で教わった記憶は全くない。都市は自分たちの生活の舞台である。最も重要な学
習のフィールドであるべき場所について、十分な教育がなされているとは思えない。自由の獲得は、教育的な要素を多分に帯びている。このような基礎的な素養
を幼い頃から身に付けておくことは非常に大切なことだと思う。(山崎さんのプログラムでも子供を対称にしたものが多かったように思う。)
<出来事をつくる→幸福な都市生活の提示>
山崎さんの取り組みは、「出来事をつくる」ということのように思う。以前、「空間から状況へ」
という企画があったが、「状況」から更に一歩踏み込んだ「出来事」の生成の実践。都市空間で起こる様々な可能性の一端を掘り起こし、楽しい「出来事」とし
て、それを提供する。参加者がそこで得られる満足は、空間や状況を含めた都市で起こりうる楽しみのひとつであり、押し付けや傲慢さや教育的な視点は感じら
れない。この出来事によって、都市での生活は明らかに以前より楽しいものになっている。莫大な資産を投じて、都市を再生しなくても、人々の生活は豊かに
なっている。願わくば、これをもう一歩踏み込み、与えられた時間と場所に限定されない、社会的な都市生活の提示へと発展して行ってもらいたい。出来事の積
み重ねが生活だろうか?確かに、それも大切な刺激ではあるが、価値観の転換のためには、公共空間全体と都市生活全体の関係性の変革の取り組みも重要だと思
う。進士先生曰くのソーシャルプランナーとしてのランドスケープアーキテクトとしての面目躍如である。僕もそのような視点に踏み込んでみたい。