第03回 岩嵜博論

第3回 2007年5月8日

プレゼンター:

  岩嵜博論(コンサルタント、研究員/博報堂ブランドデザイン、博報堂イノベーションラボ)

タイトル:

 <デザイン・アートとビジネス・マーケティングの間で>

レクチャーレビュー:

<アーバン・イノベーション・コンサルタント(都市を創る人)>
 都市は誰のためにあるのだろうか。毎日、満員電車で何時間も通勤をしてい ると、都市のために人間が生活をしているようにさえ思えてしまう。都市とは明らかに人間が創り出したものである。しかしその壮大な存在は、人間の手によっ てコントロール可能な位置を超え、独自のシステムとして僕らの生活を取り巻いている。特に消費社会の構造は、人間の欲望を構造として示し、マーケットの動 向は人間が創り出しているというよりも、都市総体としての意思をさえ感じさせる。今、都市のモラルは市場に委ねられている。
 このような都市にお いては、公共空間さえ、もはやその意義を失いつつある。人間の社会的な活動を支えるための場であったはずの空間は、市場に呑み込まれつつある。丸の内仲通 りの整備はまさにその一例かもしれない。レム・コールハースは「プライベートがパブリックを補いつつある」として、"ショッピング"のリサーチから都市の あり様を捕らえ、新しい建築のコンテキストとしている。
果たして、都市とはそのようなものだろうか。確かにそのような解読は可能であろう。しか し、それだけが現代都市(もしくは資本主義社会の先進都市)を捕らえる絶対的尺度だろうか。同時代の都市に関わる人間として、コールハースの存在は圧倒的 であるが、彼の手法の向こう側に、これからの新しい都市像が描けるだろうか。誤解を恐れずに言うならば、都市はもっと公共的で精錬で高貴な存在であり、物 語やヒューマニティに溢れた場であるべきではないだろうか。そのように都市の解読をするやり方のほうが僕らの生活をより豊かにする可能性を多く秘めている のではないだろうか。
 岩嵜さんの指摘する経験経済をよりどころとするような「新しい価値創出」とは、まさに現在支配的な都市の論理を超えた行為 だと思う。都市を、人間の欲望を、物質ではなく出来事として捕らえる。消費ではなく循環として考える。面白いのは、既にある都市で新しい価値創出を行う点 にある。まったく新しい価値をゼロから生み出すことは、先進国が途上国へ乗り込んでいく傍若無人な態度においては容易なことかもしれない。これに対して 「つくることからつかうことへのシフト」や「なにげないものの顕在化」は、今あるものをどのように捕らえるかという視点から、今あるものを変えようとして いる点で興味深い。
 岩嵜さんは、世界をメタな視点から捕らえ、右脳と左脳を行ったり来たりしながら、新しい価値を創り出そうとしている。岩嵜さ んの目線は「デザイン・アート」も「ビジネス・マーケティング」も(もちろんその間も)、これまでの枠組みからはみ出すものを捕らえている。その上で、そ のような価値を操る経営者にはなりたくないと言う。プレーヤーとしてではなく、それを支えるコンサルタントを望む。自らがある意思を持ってひとつの価値を 扱うのではなく、客観的な分析や既存の論理をつなぐことからいくつもの価値を創り出そうとしている。既存の経営者に、市場に、価値に、そして都市に、新し い視界を与える「教育者」のような態度である。それは、本当の意味で新しい都市を創る行為かもしれない。